大判例

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東京地方裁判所 昭和45年(ヨ)2408号 判決

申請人

蔵本哲也

(外一七名)

右一八名訴訟代理人弁護士

岡邦俊

(外二名)

被申請人

株式会社光文社

右代表者代表取締役

五十嵐勝彌

右訴訟代理人弁護士

松崎正躬

(外五名)

主文

一  申請人加納豊を除くその余の申請人らが被申請人の従業員としての地位を有することを仮に定める。

二  被申請人は、申請人加納豊を除くその余の申請人らに対し、昭和四五年一〇月一日から本案判決確定に至るまで、申請人加納豊に対し、昭和四五年一〇月一日から昭和四六年三月三一日まで、いずれも毎月二五日限り、別表(一)記載の各金員をそれぞれ仮に支払え。

三  申請人加納豊のその余の申請を却下する。

四  訴訟費用は、被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

(申請の趣旨)

一  申請人らが被申請人の従業員としての地位を有することを仮に定める。

二  被申請人は、申請人らに対し、昭和四五年一〇月一日から本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り、別表(一)記載の各金員をそれぞれ仮に支払え。

(答弁)

本件仮処分申請をいずれも却下する。

第二当事者の主張

(申請の理由)

一  被申請人は、単行本(カッパブックスなど)、月刊誌(「宝石」など)および週刊誌(「女性自身」など)など書籍の編集、販売を目的とする株式会社である。

申請人らの多くは夜間学生であるが、別表(二)の「勤務開始年月日」欄記載の年月日に被申請人に雇用され、同表の「過去の更新日」欄記載の年月日に右雇用契約を更新してきた(最後の契約更新の日は昭和四五年四月一日である。)。

二  被申請人は、申請人らは昭和四五年一〇月一日以降は従業員としての地位を有しないと主張して争っている。

当時の申請人らの法定労働時間内月額賃金は別表(一)記載のとおりであり(なお申請書に申請人森川勝美の右月額賃金が三八、七〇〇円とあるのは、乙第六号証の三に照らし、三七、七〇〇円の誤記と認める。)、その支給日は毎月二五日である。

三  申請人らは、賃金という唯一の収入源を断たれ、明日の生活費さえ確保できず、借金で辛うじて生活している現状であり、その経済状態は困窮の極に達している。

また前記のとおり申請人らのほとんどは夜間学生であって、昼間は被申請人で働き、その賃金で生計をたてるとともに、夜間は大学、高校、予備校等へ通っており、家庭からの仕送りを受ける余裕のある者は一人もいない。

四  申請人らは、被申請人に対し、従業員たる地位の確認および賃金支払い請求の訴訟を提起すべく準備中であるが、申請人らが現在被っている右の著しい損害を避けるため、従業員たる地位を仮に定め、昭和四五年一〇月一日から本案判決確定に至るまで、賃金を仮に支払うことを求める。

(申請の理由に対する答弁)

一  第一、二項の事実は認める。

二  第三項のうち、申請人らの多くが夜間学生であることは認め、その余の事実は否認する。

(抗弁)

一  更新拒絶(期間満了による雇用契約の終了)

(一) 申請人らと被申請人との間の雇用契約には、六カ月の期間の定めがあった。したがって、右雇用契約は、昭和四五年四月一日から六カ月後の同年九月三〇日に期間満了により終了した。

もっとも、右雇用契約の締結に際しては、同時に、「雇用契約が満了しても、両者に異議がない場合には、満了日の翌日から向う六カ月、期間を延長する」旨の合意がなされていたが、被申請人は、申請人らに対し、右にいう異議として、昭和四五年九月二六日、雇用契約を同年九月三〇日以降は更新しない旨通告した(以下この通告を本件更新拒絶という。)。

(二) 右更新拒絶の理由は次のとおりである。

1 臨時雇員についての育英事業性

被申請人は、従来、主として育英事業としての観点から申請人ら臨時雇員を採用してきていたものである。すなわち、採用にあたっては身分を夜間学生に限り、賃金面で優遇し(賃金は、出版各社の同種臨時雇員と比較した場合、トップクラスにある。)、交通費も被申請人が全額負担し、社員食堂の利用をすすめるなど厚生面でも種々の考慮を払い、就業時間も午後五時までとし(一般従業員は午後五時半まで)、就業時間中であっても業務に支障のない限りは勉強することも許し(臨時雇員の担務は、常時継続しているものではない。)、学生の身分を離れることをもって雇用契約を解消するものとして運用されてきていた(なお、臨時雇員から一般従業員へのいわゆる登用制度はない。)。

2 申請人らの担務

出版企業には、編集、制作、販売、営業管理、広告宣伝等出版に関する本来の業務のほかに、清掃業務、受付業務、建物管理業務、郵便業務、連絡補助業務および倉庫補助業務などのこれに付随する業務がある。これは、本来の出版業務と性質を全く異にし、また継続的性質の薄いものである。また、出版本来の業務にあたっている者をして担務に専心させる必要があることからも、付随的業務にあたる者は、出版各社とも一般従業員と区別してきている。

申請人らの担務も、右の付随業務の一部であった。すなわち、総務部門における備品倉庫担当者の補助、コピー作業の補助、編集部門における進行表などのコピーなど、原稿、校正刷りなどの配送あるいは読者からの投稿葉書の整理その他の雑用、販売部門におけるいわゆる手倉(社内の小さな倉庫)の整理補助、書店からの注文部数の転記、拡売材料の荷作り、計算書の転記、倉庫における一般従業員の指示による被申請人出版書籍の搬出入、倉庫の整理、清掃などであった。

3 更新拒絶の理由

被申請人の社員、嘱託を構成員とする光文社労働組合(以下光労組という。)および週刊誌「女性自身」の記者、カメラマンを構成員とする光文社記者労働組合(以下記者労組という。)は、昭和四五年四月一六日から無期限ストライキに入り、これに対し被申請人は、同年六月一一日以降八月一〇日までロックアウトを実施した。

被申請人は右争議により経営的に極度に疲へいし、危急存亡の事態におちいった。すなわち、カッパブックスなど単行本の出版および販売が阻害されたのみならず、「女性自身」などの諸雑誌も長期間にわたり休刊せざるをえなかった。なお月刊誌「宝石」は現在も休刊中である。

そこで被申請人としては、臨時雇員についてもその存続を検討せざるをえなくなるに至り、会社再建という観点から、前述の従前のこの制度運用の実態を勘案して、右制度の廃止に踏み切ることとし、本件更新拒絶に及んだものである。本件更新拒絶は、あくまでも会社再建の一環として、業務上やむなくとられた措置である。

二  解雇

(一) 仮に右更新拒絶が無効であるとしても、被申請人は、昭和四六年一二月二四日の本件口頭弁論期日において申請人らに対し、解雇の意思表示をした。

(二) 申請人らは、被申請人との間の雇用契約締結の際およびその後右契約が更新される際に、被申請人に対し「臨時雇用者就労承諾書」を差し入れているが、右承諾書には、雇用者の従うべき服務の条件の一つとして、「雇用期間中もしくは、延長期間中であっても、下記に該当する場合、会社(被申請人)は臨時雇用者を解雇することがある。」との条項があり、その(ヌ)として「事業経営上やむを得ない事由が生じたとき。」と定められている。

右解雇は、右条項(ヌ)に基づくものであり、その理由は本件更新拒絶の理由と同一である。

三  学生の身分の喪失による雇用契約の終了

(一) 被申請人の臨時雇員制度は、前記のとおり育英的観点からその運営がなされており、夜間学生の身分を有することが雇用契約存続の絶対的要件である。従来、学生の身分を離れてからもなお臨時雇員として雇用契約を継続した例はない。

前記臨時雇用者就労承諾書にも、雇用期間の延長に関する前記条項(抗弁第一項(一))の但書として「ただし、学生の場合の延長期間は、現在校を卒業するまでとする。」と定められており、延長期間の面でこのことを明らかにしている。

なお右条項は、「卒業」という一般的場合を規定しているが、制度の趣旨、運用経過からみて、中途退学その他夜間学生としての身分を離れる場合、および進学予定者として採用された者で(採用時を進学年度と合わせてあることから、入学試験合否未定の者、あるいは予備校を選定中の者など、採用時にはまだ進学予定者である場合がある。)、結局進学を断念した者も含めて解釈されるべきである。

したがって、以上の理由によって学生としての身分を失った者は、学生の身分を失った後に到来する最初の三月三一日または九月三〇日(六カ月の期間満了のとき)をもって期間満了により雇用契約は終了する。

(二) 右に述べたところによれば、申請人らのうち次の者については雇用契約が終了したものである。

1 申請人貝塚正男は、昭和四六年三月短期大学二年を卒業したから、同年三月三一日限り雇用契約は終了した。

2 同奥山政道は、昭和四五年二月、学費滞納の理由により在学していた大学を除籍されたから、同年三月三一日限り雇用契約は終了した。

3 同山田富雄および同浜田崇子は、いずれも昭和四五年四月の契約の更新時には学生ではなく、進学予定ということで契約を更新したが、結局進学はしなかったから、右両名についての雇用契約は昭和四五年九月三〇日限り終了した。

4 同山田哲雄は、昭和四五年六月、学費滞納の理由により在学していた大学を除籍されたから、同年九月三〇日限り雇用契約は終了した。

5 同国分清市は、昭和四六年三月高等学校四年を卒業したから、同年三月三一日限り雇用契約は終了した。

6 同大島正敏は、昭和四六年三月、学費滞納の理由により在学していた大学を除籍されたから、同年三月三一日限り雇用契約は終了した。

7 同江上徹は、昭和四六年三月予備校一年を終了し、進学もしなかったから、同年三月三一日限り雇用契約は終了した。

8 同加納豊は、昭和四六年三月大学四年を卒業したから、同年三月三一日限り雇用契約は終了した。

(抗弁に対する答弁)

一  抗弁第一項について

(一) 認める。

(二)1 臨時雇員の就業時間が午後五時までであることは認めるが、その余の事実は否認する。

2 否認する。

申請人らは、編集、販売、営業管理、広告宣伝などの各業務に分散し、一般社員と同一の仕事を担当していた。申請人らが一般社員に比べて相対的に機械的、肉体的労務を担当していたとしても、それは担務上の区別であって、臨時雇員という地位とは無関係である。また、被申請人の主張する付随的業務も、多数の一般社員が担当している。

3 光労組および記者労組が、昭和四五年四月一六日から無期限ストライキに入ったこと、被申請人が同年六月一日から八月一〇日までロックアウトを実施したこと、被申請人が現在は右争議前の業務の一部を行なっているにすぎないことは認めるが、その余の事実は否認する。

二  同第二項(二)のうち、申請人らが雇用契約締結またはその更新の際、被申請人に臨時雇用者就労承諾書を差し入れることを認めるが、申請人らを解雇しなければならない事業経営上やむをえない事由があることは否認する。

三  同第三項について

(一) 臨時雇用者就労承諾書に被申請人主張のような文言のあることは認めるが、その余の事実は否認する。

右承諾書の但書は例文にすぎず、実際の運用においては学生の身分を有しない者が雇用されている実例が多い(申請人のうちでは、山田富雄、浜田崇子の両名がそうであって、被申請人は、右両名の学校卒業後もそれを知りながら雇用を継続している。)。学校の卒業は雇用契約終了の一応のめどにすぎない。承諾書の記載の趣旨もそうであって、申請人らもそのように考えていたのである。

(一)1 申請人貝塚正男は、昭和四六年四月日本大学経済学部に入学し、現在在学中である。

2 同奥山政道が、昭和四五年二月学費滞納により大学を除籍されたことは認める。

3 同山田富雄および同浜田崇子が、進学しなかったことは認めるが、昭和四五年四月当時進学予定であったことは否認する。右両名は、昭和四五年四月一日の契約更新時すでに学籍がなく、進学の明確な予定もなかったが、被申請人からの強い要望によりそのまま契約を更新し、その後も被申請人は学籍のないことに関して何ら異議を述べなかった。

4 同山田哲雄が、学費滞納により大学を除籍されたことは認めるが、その時期が昭和四五年六月であることは否認する。右時期は昭和四六年七月一三日である。

5 同国分清市が昭和四六年三月高等学校四年を卒業したことは認める。同人は、昭和四六年四月大学進学予定のところ、これを一時延期しているにすぎない。

6 同大島正敏が、昭和四六年三月学費滞納により大学を除籍されたことは認める。

7 同江上徹が、昭和四六年三月予備校一年を終了し、進学もしなかったことは認める。同人は、昭和四六年四月大学進学予定のところ、これを一時延期しているにすぎない。

8 同加納豊が、昭和四六年三月大学四年を卒業したことは認める。

(再抗弁)

一  不当労働行為

申請人らに対する本件更新拒絶および解雇は、いずれも申請人らが正当な組合活動をしたことを理由にするものであるから、不当労働行為であって、無効である。

(一) 労働争議の発生と経過

1 昭和四四年一二月ごろ、昭和三六年以降長期にわたって被申請人の代表取締役であった神吉晴夫の背任行為が明るみに出た。そのため被申請人の従業員の間に「神吉体制」を鋭く批判する声が高まり、昭和四五年のいわゆる春闘の際の光労組および記者労組両組合の臨時組合大会では、神吉社長の引責辞任、賃金格差撤廃、賃金引上げの三項目要求について圧倒的多数でスト権が確立された。その結果神吉社長は昭和四五年四月代表取締役を辞任した。

2 しかし、被申請人が右要求についての団体交渉に応じないので、両組合は昭和四五年四月一六日無期限ストライキに入った。同年四月二七日には申請人ら臨時雇員によって臨時労働者協議会(以下臨労協という。)が結成され、後に右ストライキに参加した。(なお、右臨労協は後に臨時労働者労働組合と名称を変更した。)

3 同年五月二日、四日、七日および八日の四日にわたり、被申請人の社内で団体交渉が開かれ、被申請人と光労組、記者労組両組合との間では「今春闘においては賃金カットをしない。」等の確認書が、また被申請人と臨労協との間では「今回の神吉体制打破の闘争における光文社臨時労働者協議会の行動を正当なものと認め、処分、賃金カット等は一切行なわないことを約束します。」等の確認書がそれぞれ交わされた。

4 ところが被申請人は同年六月九日、右確認書の破棄を一方的に組合側に通告し、同月一一日から同年八月一〇日までロックアウトの措置に出た。

5 被申請人は、ロックアウト解除後も、組合員に対しては自宅待機命令を出し、組合の就労要求を拒否し続けた。一方、同年六月二八日に成立した第二組合員については、ロックアウト中から就労させている。

そして、その後自宅待機中の組合員に対し、個別的に、「就労についての話合いを行なう」旨の呼出の書面を送り、あるいは個別に出社命令を出した。臨時労働者労働組合(以下臨労組という。)の組合員のうちでは、申請人山田富雄、同江上徹および同藤田明徳には昭和四五年九月一二日に、申請人梅津憲司および申請外江上彰には同月一四日に、申請外大富勝久および同重盛光明には同月五日と一四日に、それぞれ出社命令が送付された。

被申請人の右行為は、本来組合との団体交渉によって、春闘の妥結という形で解決されるべき就労問題を、組合切崩しのための手段として意図的に利用しているものというべきである。

なお、昭和四五年九月分賃金からは、明確な理由を示すことなく、右話合いのための出社および出社命令を拒否した者について、出者指定日以降の賃金に相当する金額をカットした。

(二) 被申請人の申請人らに対する本件更新拒絶および解雇は、「会社の業務の都合」ないし「事業経営上やむを得ない事由」が理由とされているが、そのような業務の都合など全く存在しないことは、次の事実から明らかである。

1 「就労について話合いをしたい」として臨時雇員の一部を呼出したわずか二週間後に更新拒絶の通知をしていること

2 第二組合に加入した中高年の臨時雇員については、一応全員解雇という形式を踏んではいるものの、全員を直ちに同じ講談社資本系の申請外株式会社講談社出版サービスセンターに入社させ、同社の社員として被申請人に派遣させ、以前と同一の仕事に従事させていること

3 被申請人は、昭和四五年八月三一日には、倉庫係員として長期アルバイトを募集していること

4 被申請人は、現在第二組合員のみを就労させ、争議前の業務の一部を行なっているにすぎないが、右アルバイト募集の事実にみられるように、それでも労働力に不足をきたしており、争議が解決し、従前の業務が全面的に再開される場合には、労働力は一層不足するはずであって、労働力が過剰になるということは考えられないこと

(三) 以上の事実からみて、被申請人の本件更新拒絶および解雇の理由は、申請人らが前記争議すなわち正当な組合活動を行なったということ以外にありえない。

二  権利濫用

本件更新拒絶および解雇は、以下述べる理由により、権利の濫用であるから、無効である。

(一) 被申請人が更新拒絶の理由とする「業務の都合」および解雇の理由とする「事業経営上やむを得ない事由」が何ら存しないことは、前記のとおりである。

そして、正当な理由のない更新拒絶または解雇は、権利の濫用であって無効である。

(二) また、以下の諸事実によれば、本件更新拒絶および解雇が、権利の濫用にあたることは明らかである。

1 被申請人がロックアウトを解除する前に、組合側は就労宣言をしていた。このような時点で残された問題は、春闘の妥結と就労の実現であって、これは何よりも団体交渉で解決されるべきことであった。ところが被申請人は、組合を全く無視して、前記のとおり臨時雇員の一部の者に対して個別呼出をかけ、その直後に更新拒絶をした。これは労使の信義則に違反する重大な背信行為といわなければならない。

2 前記のとおり本件更新拒絶当時被申請人は労働力に不足をきたしており、また被申請人が業務を縮小するという事実もない。そうすると申請人らに対する本件更新拒絶ないし解雇は、被申請人の業務上の都合によるのではなく、当初から第一組合に所属し組合活動を行なってきた申請人らを被申請人から排除する目的で、恣意的になされたものである。

2 更新拒絶ないし解雇という労働者の生活に直接影響を及ぼす重大な問題について、被申請人は一度も組合に通知することなく、まして協議もせず、一方的に結論を下した。

三  信義則違反

(一) 申請人奥山政道、同山田哲雄および同大島正雄の除籍理由はすべて学費滞納であり、これは、本件争議の長期化、賃金カット、更新拒絶等被申請人の責に帰すべき事由に起因するものである。したがって、被申請人が右申請人らの学籍喪失をもって雇用契約の終了を主張することは、著しく信義則に反し、許されない。

(二) 申請人国分清市および同江上徹が前記のとおり大学進学を一時延期したのは、右に述べた被申請人の責に帰すべき事由によるものである。したがって、被申請人が右両名の進学延期をもって雇用契約の終了を主張するのは、右同様に許されない。

(再抗弁に対する答弁)

一  再抗弁第一項について

(一) 神吉社長が昭和四五年四月辞任したこと、同年四月一六日光労組および記者労組が無期限ストライキに入ったこと、同月二七日臨労協が結成されたこと、同年五月二日、四日、七日および八日に団体交渉が行なわれたこと、その際申請人ら主張のような内容の確認書が作成されたこと、同年六月九日被申請人が右確認書の破棄を通告したこと、同年六月一一日から八月一〇日まで被申請人がロックアウトを実施したこと、その解除後被申請人が光労組、記者労組および臨労組所属の従業員に対し自宅待機を指示したこと、その後自宅待機中の従業員に対し就労指示に及んだこと、就労指示に応じない者についての賃金をカットしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)1 自宅待機中の従業員に対し、就労指示をしたことは認める。

2 被申請人が、臨時雇員全員についての契約を解消したこと、株式会社講談社出版サービスセンターの業務として従来申請人らの担当していた業務も処理されていることは認めるが、その余の事実は否認する。

3 認める。

4 被申請人が、争議以後全面的業務再開に至っていないことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 否認する。

二  同第二項について

否認する。

三  同第三項について

否認する。

第三疎明関係(省略)

理由

一  申請の理由第一項の事実(雇用契約の締結とその更新)および抗弁第一項(一)の事実(雇用契約の期間の延長に関する合意と更新拒絶)は当事者間に争いがない。

二  本件更新拒絶と権利の濫用について

(一)  昭和四五年四月以降の争議が被申請人の事業に与えた影響と申請人らの雇用を継続する必要性

1  被申請人の業務の概要

(証拠省略)によれば、次の事実が一応認められる。

被申請人は、カッパブックス、カッパノベルス、カッパビジネス、カッパホームスなどの単行本、「宝石」などの月刊誌および「女性自身」などの週刊誌の編集・販売を目的としている。

被申請人の昭和四五年四月当時の従業員数は二五四名であって、被申請人会社には従業員によって構成されている光労組(昭和三七年二月結成で、昭和四五年四月当時の組合員数は一六四名)および雑誌「女性自身」等の編集にたずさわる記者をもって構成される記者労組(昭和四〇年一〇月結成で、昭和四五年四月当時の組合員数は三七名)があった。また、昭和四五年四月二七日には、申請人を含む臨時雇員全員(三五名)によって臨労協が結成された(右年月日に臨労協が結成されたことは当事者間に争いがない。)。

2  申請人らの担務の性質と内容

(証拠省略)によれば、以下の事実が一応認められる。

被申請人などの出版企業においては、出版本来の業務として、編集部門においては編集の企画および立案、取材活動、編集整理、校閲、校了ならびに雑誌協会、関係官庁などとの打合せ(編集審査)があり、販売部門においては業務計画の立案、予算編成、定価および部数決定のための諸資料作成、定価および部数決定、用紙、印刷加工、製本などに関する諸準備およびその実施(制作)、販売促進調査、取次店への配本計画の立案(販売)、営業予算の管理、出版物の永久保存、出版書籍の出入庫および保管管理、返品処理、広告宣伝の規模および内容の企画、宣伝予算の編成、広告スペースのセールス活動、スポンサーとのタイアップ広告の制作、広告原稿の送稿および校閲などがある。これら業務は、臨時雇員ではない、一般従業員が主として担当している。

そして、このような出版本来の業務と異なり、倉庫補助業務、連絡補助業務などのように、これに付随する、補助的でかつ独自の判断を要しない機械的な仕事があり、申請人ら臨時雇員は、主としてこれら付随業務を担当していた。たとえば、総務部門においては、備品倉庫担当者の補助、コピー作業の補助など、編集部門においては、進行表のコピー、原稿および校正刷りなどの配送、読者からの投稿葉書の整理、そのほか原稿のコピー、新聞広告の切抜き等の雑用など、営業部門においては、手倉(社内の小さな倉庫)の整理補助、書店からの注文部数の転記、販売拡大用材料の荷作り(以上販売部)、計算書の転記(業務部)、倉庫における被申請人出版書籍の搬出入および倉庫の整理、清掃(営業管理部)などである。

(証拠省略)の結果中には、申請人ら(少なくともその一部)は、他の一般従業員と全く同性質、同一内容の職務に従事していたとの部分があるが、採用し難い。

右認定によれば、申請人らが担当していた職務は、出版業務に直接的でないという意味において、補助的、機械的な性格のものであるということができても、その仕事の性質上、出版業務を遂行する上では常に必要不可欠のものであって、この職務は、出版業務が続く限り、絶対になくてはならないものというべきである。

3  被申請人における争議の経過

(証拠省略)の結果を総合すれば、以下の事実が一応認められる。

光労組および記者労組は、昭和四五年二月以降、被申請人との間で、従業員の給与体系の問題、組合員の範囲の問題、「女性自身」に掲載された記事に関する責任問題、辞任した前代表者の退職金の問題、被申請人新社屋の建設問題等について団体交渉を重ねていたが、同年四月一六日以降、「新役員会は神吉(前代表者)体制の非を認め、経理の不正をただし、今後のビジョンを明らかにせよ。」、「右の点について新役員会は全組合員に直接説明にあたり、疑義に答えるため、大衆団交を開くべきである。」、「賃金体系のゆがみを正し(不当な格差撤廃)、ベースアップの要求に答えよ。」等の要求をかかげて、無期限ストライキに入った(前記二組合が右同日以降無期限ストライキに入ったことは、当事者間に争いがない。)。

臨労協も、昭和四五年四月三〇日から同年五月一〇日までの間、右両組合を支援するためであるとして、「神吉体制打破」、「格差賃金是正を含む六万円ベースアップ」、「すべての身分差別撤廃」をスローガンとして、時限ストライキを行なった。そして同年五月一一日からは無期限ストライキに入った。なお臨労協は、同年七月一〇日、光文社臨時労働者労働組合と改称された。

また組合側は、同年五月一〇日から後記ロックアウト実施の日まで、連日一〇数名前後の者を被申請人社屋一階から四階までの各事務室、応接室、会議室に泊り込ませて占拠し、被申請人の退去要求にも応じなかった。

これに対し被申請人は、同年六月一一日、全組合員に対しロックアウトの措置をとった。

同年六月二七日に至り、一部従業員によって前記組合、協議会とは別個に全光文社労働組合が結成され、被申請人に対し就労を申し出て、右組合所属の従業員は同年六月二九日から就労した。なお右組合の加入者は従業員の四分の三を越えた。

また右六月二九日、光労組、記者労組および臨労協は組合大会を開き、ストライキを解除し、就労することを決議した。しかし、被申請人のロックアウトは同年八月一〇日まで続いた(ロックアウトが昭和四五年六月一一日から同年八月一〇日まで実施されたことは、当事者間に争いがない。)。

ロックアウト解除後も、被申請人は、光労組、記者労組および臨労組三組合の組合員に対し、ロックアウトを解除するが、追って指示あるまで自宅待機をするようにと通告した。そして、被申請人は、昭和四五年八月一五日から昭和四六年三月までの間に、右三組合の組合員に対し(臨時雇員については九名のみ、また光労組と記者労組の組合員のうち、昭和四五年一〇月三一日に被申請人が懲戒解雇の意思表示をした九名を除く。)、順次、就労の件について話し合いたいので出社するようにとの通告をした。しかし右三組合は、組合員に対する自宅待機命令および個加的な出社命令は、組合を無視する不当労働行為であるとの立場をとり、これらは従業員の労働条件にかかわる事項で、すべて組合を通じて行ない、団体交渉で解決すべきであるから、個々の組合員がこれに応ずべきではないと主張したため、組合員のうちこれに応じたのは、臨時雇員と一般従業員各一名にすぎず、他の従業員は右出社命令を拒否し、現在に至るも就労していない。

4  争議の被申請人に与えた影響

(証拠省略)によれば、以下の事実が一応認められる。

(1) 雑誌「女性自身」

週刊誌「女性自身」は、昭和四四年には、各号八六万部余の発行部数であって、女性週刊誌の中では最大の部数を誇っていた。

しかし、前認定の争議のため昭和四五年四月二五日号を最後として休刊のやむなきに至り、復刊したのは同年八月二四日号からであって、この約四カ月間の一六冊が発行できなかった。

休刊直前の四月二五日号は発行部数九三五、〇〇〇部で、二、三三一万円余の利益をあげた。ところが復刊直後ころの九月一九日号は発行部数は九二八、〇〇〇部であったものの、一、一二五万円余の損失であった。発行部数は両者それ程の差異がないのに、九月一九日号だけが大幅な損失となったのは、女性週刊誌は収入のうち広告収入の占める比率が大きいが、復刊後は広告のページ数が減少して、広告収入が極端に少なくなったためである。なお広告主は、広告掲載についての年間販売計画をたて、これに基づいて被申請人との間で一年間の広告掲載に関する契約を締結する場合が多いが、女性自身が休刊したため、被申請人は広告主に対し、休刊による損害の補償として、無料広告の掲載、広告料金の値引き等の措置をとらざるをえなかった。

被申請人役員は、復刊の時点においては、女性自身の収支の赤字は、昭和四六年八月ごろまで続くであろうと予測していたが、実際には、昭和四六年に入ってからは四回のうち一回は黒字になり、同年四月からは全号黒字に転じた。なお、業界において有力な広告媒体として認められ、広告収入をうるためには、たとえ当初赤字であっても、ある一定部数をある年月以上継続して発行しなければならないのが出版界の実情である。

女性自身が右のようにある期間休刊したため、女性週刊誌のうち最大の発行部数をもつ週刊誌は他出版社のものによってとってかわられた。またそれ以外の女性週刊誌も発行部数が大幅に伸びた。

(2) 雑誌「宝石」

月刊誌「宝石」は、廃刊のやむなきに至った。しかし、昭和四六年一〇月九日からは、「別冊宝石」という雑誌が発行され始め、同年一二月四日にはその第二冊目が出る予定である。

(3) 単行本

全部の単行本がある期間全く発行できなかった。通常単行本の出版の九割以上は重版であるが、重版の出版もできなかった。

なお作家、寄稿家、画家など被申請人出版物の執筆者の一部は、組合の要請等によって、被申請人の出版物への執筆と全著書の再版を拒否する態度に出たが、昭和四六年三月ごろから次第にその態度を改め、昭和四六年一二月の時点では執筆を拒否している者は一人もいなくなった。

(4) その他の影響

書店には被申請人の出版物の展示、販売のための専属のコーナーがあり、一定の売場面積を確保していたが、書籍の継続的納入ができなかったため、このコーナーは他社出版の書籍によって利用されるようになってしまい、以前の状態に復するためにはある程度の日数が必要であった。その際、書籍の代金の支払方法等の取引の条件が、以前に比して被申請人にとってより不利益のものとなった例もある。

また出版物の原料、資材を納入する業者あるいは印刷業者からも、支払条件の変更あるいは料金の値上げを申し入れてきた。

5  経営再建のための被申請人の努力

(証拠省略)によれば、被申請人は右のような打撃を受けた経営を再建するために次のような方策をとったことが一応認められる。

(1) 機構の改訂(縮小)

イ 従来は別冊女性自身編集部があったが、「別冊女性自身」は廃刊とし、その編集部員は女性自身編集部に吸収した。

ロ 月刊誌「宝石」の廃刊に伴なって宝石編集部は廃部とした。

ハ カッパの本の編集部は四つあったが(カッパブックス、ノベルス、ビジネス、ホームス)、これを二つの編集部に整理統合した。

(2) 昭和四六年一二月完成予定の計画で、約二〇億円の予算の新社屋の建設にとりかかっており、すでに八億円の費用を投じていたが、資金的に継続が不可能となり、地下工事の一部が終了した昭和四五年九月の時点で工事の続行を延期することにした。

(3) 定期預金の解約

資金面においては、資産の売却、銀行からの資金借入れは、信用の失墜を招くので、そのような方法はとらず、定期預金の解約をするにとどめた。

(4) 業務の機械化による省力化の努力として次のような措置をとった。

イ 倉庫施設の機械化

これは、昭和四六年八月の時点では設計が終った段階であって、まだ実施には至っていない。

ロ 計算事務器の増設または改良型の採用

これは、昭和四六年八月の時点で実施ずみである。

ハ 復写器の最新型のものとの交換あるいは新設

これは、昭和四六年八月の時点で実施ずみである。

ニ コンピューターの採用

昭和四六年八月の時点でまだ実施はされていないが、機種も決定し、契約直前である。

ホ マイクロ写真設備の導入

右コンピューターと同じような状況にある。

ヘ 携帯用写真電送装置の導入

これは、昭和四六年八月の時点では、新機種が将来発売されるということなので、そのとき導入を再検討することになっている。

ト 印刷所との直通電話の設置

これは、昭和四六年八月の時点で、印刷所との話合いがまとまり、所轄官庁に許可の申請書を提出する段階である。

チ 印刷所との間の連絡バスの活用

これは、昭和四六年八月の時点ですでに実施ずみである。

ところで、これら業務の機械化は、すべて臨時雇員の担当していた仕事に関するものであって、これにより右業務に従事する者の人数を少なくすることができるものと予測された。

そして被申請人は、臨時雇員の担当していた付随業務は、社外の専門業者に委託しようと考えた。このような処理形態をとることによって、相当程度のコストダウンをもたらすことができると計算していた。

6  以上のまとめ

以上の事実によれば、被申請人が、かなりの期間にわたった労働争議により、その経営状態が相当悪化し、現在でも業務は完全に正常な状態には回復していないことが認められる。したがって、被申請人が、これを改善するために、種々の経営合理化の努力を払ったことも首肯できる。これによって余剰人員が生ずるならば、それを整理するのも、やむをえない措置と考えられる。

しかし、以上認定の事実によっては、そのような事情を認めるに足りないのである。すなわち、昭和四五年九月ごろから業務は再開され、雑誌等も順次復刊されるに至っている。その将来の見とおしについてはなお楽観を許さなかったとしても、復興のきざしは否定できなかったのであるから、業務がさらに従前の状態に近づいてゆくであろうということは推測しえたはずである。このような状態においては、今後発展的に出版業務を遂行してゆくためには、これに伴って申請人らの従事していた付随業務は絶対に必要となる性質のものである。もっとも、被申請人の付随業務の一部が機械化されたことは、前認定のとおりであるが、これによって果たしてどの程度の人員の削減をもたらすものか証拠上明らかでないばかりでなく、昭和四五年九月の時点で機械化が一挙に実現されたものではない。むしろ、昭和四六年八月に至ってもその多くは実施に移されていないのであるから、今後逐次実施されてゆくとしても、その完成は、遠い将来のことと推認しなければならない。そうすると、機械化に伴なって剰員が生ずるとしても、それは、一挙に生ずるということではなく、徐々に生ずべきものであるから、早くも昭和四五年九月の段階で剰員の可能性やその人員を予測することは、到底できなかったものといわなければならない。

要するに、以上認定の事実によっても、昭和四五年九月三〇日の時点で、申請人ら臨時雇員全員の雇用を継続する必要性が一挙になくなったと認めることができないのである(なお、付随業務の処理を専門業者に委託する必要性の有無については次に述べる。)。

(二)  臨時雇員制度の目的とその存続の可能性

被申請人が臨時雇員制度を育英制度とする主張の趣旨は必ずしも明らかではないが、この点に関し証人馬場真美は本件更新拒絶の理由として、「もともと被申請人における学生臨時雇員の制度は、学生に対する育英制度的色彩をもっており、学生を非常に優遇している制度であるから、被申請人が危急存亡の事態に立ち至った以上、このような優遇措置は企業にとっていわば「ぜい肉」であって、これを存続することはできなくなったものであり、この制度にかえて、他社(株式会社講談社出版サービスセンター)に委託して付随業務を行なわせるのが経費の節約となる」旨証言している。この証言に則して、被申請人の主張を善解すれば、その趣旨は、付随業務を担当する者の必要性がなくなった訳ではないが、臨時雇員制度は育英的なものであって、学生をその担当する職務に不相応な程特別に優遇するものであるから、業務が苦境を迎えた被申請人としては、このような制度を維持してゆく経済的余裕はなくなったということであると思われる。

そこで、被申請人が育英制度である根拠として主張する点を順次検討する。

1  採用時に身分を夜間学生に限っていることについて申請人らが被申請人に差し入れている臨時雇用者就労承諾書に、雇用契約の期間は六カ月であって、現在校を卒業するまで期間を延長する旨の記載があることおよび申請人らの多くが夜間学生であることは、当事者間に争いがない。

就労時間が、一般従業員は午後五時半までであるが、臨時雇員の場合は午後五時までであることも当事者間に争いがない。しかし、(証拠省略)によれば、臨時雇員の始業時間が午前九時であるのに対し、一般従業員の始業時間は午前九時半であることが一応認められるから、両者の間の労働時間には差異がない。

2  賃金について

証人牛久三郎の証言によって成立を認める乙第二六号証の四によれば、出版社におけるいわゆる学生アルバイトの昭和四四年度の給与状況を被申請人および同業大手三社について比較した場合、被申請人は年間支給額が六四二、八一五円、通勤費は全額会社負担で、社員食堂の食券月額一、一〇〇円を支給することになっているのに対し、講談社は年間支給額が五九〇、七五一円、通勤費は月額三、六〇〇円を限度として支給し、小学館では年間支給額が五二一、五三九円で、社員食堂の食券月額七〇〇円を支給し、集英社は年間支給額五二一、〇〇〇円で、食券については小学館と同様であることが一応認められる。

これら数額によれば、形式的には被申請人の給与は、四社の中では最も高額ではあるが、特に抜群という程のものではなく、大きな差がある訳ではない。のみならず、労働時間、仕事の内容等をも比較しなければ、いずれが優遇されているか判断できないが、これらの労働諸条件について比較すべき資料の疎明はない。

3  就業時間中の勉学について

証人馬場真美は、学生臨時雇員については勉学優先という気持で運営してきた旨証言し、証人牛久三郎は、場合によっては就業時間中でも勉強することを許可していた旨証言している。しかし、右各証言は、前出甲第一〇、一三、一九号証および証人井福佑二の証言と対比してにわかに措信できない。かえって、後述のとおり臨時雇員にも時間外労働を命じている事実に照らせば、仮に多少の勉学は可能であったとしても、就業時間中にひんぱんかつ長時間にわたって勉学に従事しえたとは到底思われない。

4  時間外労働について

証人馬場真美は、臨時雇員には時間外労働は担当させない方針であったと証言している。

しかし、(証拠省略)によれば、被申請人の「臨時雇員の就業に関する内規」には、その一八条として、「会社は業務上必要あるときは、時間外または休日勤務を指示し、あるいは休日を他の労働日に振りかえることがある。」との定めがあり、時間外勤務手当についての条項もあることが一応認められる。また(証拠省略)によれば、前記臨時雇用者就労承諾書には、服務の条件として、「原則として、時間外勤務は指示しない。ただし、業務上の都合で時間外勤務または休日勤務を、配置部署の長が指示することがある。」との条項があること(ただし、昭和四四年以前のものについては、「原則として、時間外勤務は指示しない。」との文言はない。)が一応認められる。そして、(証拠省略)の結果によれば、臨時雇員も、職場の業務の都合から時間外労働を余儀なくされることがあり、かなり長時間の時間外労働に従事した臨時雇員もいたことが一応認められる。

5  以上によれば、被申請人における臨時雇員制度が、夜間学生を特段優遇するものとは認められない。むしろ、付随的、機械的業務で、特別の技術、経験を要しないというその担当職務の特殊性からして、一般従業員にこれを担当させるよりも、若年で、しかも学校を卒業すれば、原則として退職してしまうから回転が速く、したがって、昇給等の配慮も余り必要でない夜間学生に担当させるのが、企業にとってきわめて好都合であったというにすぎないものというべきである。前記のとおり、多くの出版企業が付随業務を学生を利用して処理する形態をとっているのは、右のような事情に基づくものと推測されるのであって、出版企業各社がことごとく学生の育英制度に熱意をもっているとは思われないのである。したがって、被申請人の自画自賛にもかかわらず、臨時雇員制度は、決して育英制度的なものという名に値しないのであり、むしろそれは被申請人の企業の合理化のために採用されていた制度といわなければならない。そうすると、この制度においてはむしろ、学ぶためには働かなければならない経済的弱者の存在に留意しなければならないから、これらの者が育英制度的という美名の下にたやすく職場から放逐されてはならないという法律的要請の働くことを承認しなければならないのである。

また、他社すなわち株式会社講談社出版サービスセンターに右の付随的業務を委託して処理することにした場合に、どの程度の経費の節減になるのか証拠上明らかではない。もっとも、証人馬場真美は、臨時雇員三七名の給与は年間約二、五〇〇万円であり、右同額の経費の節約ができると証言している。しかし、社外に委託した場合も、それ相応の費用を要することはもちろんであり、右の二、五〇〇万円全額が節約となることはありえないから、右証言によっても、社外に委託した場合、どの程度コスト・ダウンになるのか、明らかではない。

以上述べたとおり、臨時雇員制度が夜間学生を優遇する、育英的色彩をもった制度であるという前提事実も、また被申請人としてはこのような制度を存続させるだけの経済的余裕がないという事実も、いずれも認めることができないから、これによっても、本件更新拒絶を正当化する理由にはならない。

なお証人馬場真美は、臨時雇員制度を昭和四五年九月の時点で廃止しなくとも、直ちに被申請人が倒産するということはないであろうが、この制度を存続させるならば、いずれは倒産に連なることになる旨証言しているが、右証言もこのような結論を導く充分な根拠を示していないし、他にこのような推測を裏付けるに足りる疎明資料もないから、採用することができない。

(三)  被申請人の主張を疑わせる事実

以下に認定するいくつかの事実は、逆に、申請人らが依然として被申請人の業務遂行にとって必要不可欠のものであったのではないかということを推測させるものである。

1  アルバイト募集の事実

(証拠省略)によれば、次の事実が一応認められる。

被申請人は、昭和四五年八月三一日ごろ、学生援護会発行の新聞「アルバイトニュース」に、倉庫係員として男子三名(二部大学生に限る)を募集する旨の広告を掲出した。これは、営業管理部に属し、被申請人目白倉庫における被申請人出版書籍の搬出入および倉庫の管理、清掃などを担当していた申請人奥山政道、同森川勝美と同じ職務を担当させるためであった。

そして、結局期間六カ月など申請人ら臨時雇員と同一の労働条件で、男子学生三名が採用された。右三名は、昭和四五年九月末の時点で、被申請人のあっせんにより、後に述べる株式会社講談社出版サービスセンターに移ったが、その後も依然として被申請人の目白倉庫に勤務している(被申請人が、昭和四五年八月三一日ごろ、アルバイト募集をした事実は、当事者間に争いがない。)。

2  一部臨時雇員の講談社出版サービスセンターへの移行

(証拠省略)によれば、次の事実が一応認められる。

昭和四五年九月三〇日現在、被申請人には臨時雇員が三七名おり、同日被申請人はこれら全員に対し、雇用契約の更新拒絶の意思表示をした。

しかし、うち六名の学生でない中高年齢の臨時雇員は、被申請人のあっせんで、右時点で、図書の改装、タイプ印書、筆写、商品の梱包、清掃、その他これらに関連する業務を目的とする申請外株式会社講談社出版サービスセンターが従業員として雇用し、以後右六名は同会社から被申請人に派遣されて、以前と同一の業務に従事している(被申請人が、昭和四五年九月三〇日、臨時雇員全員についての雇用契約を解消し、従来申請人らの担務していた業務も右講談社出版サービスセンターの業務として処理されていることは、当事者間に争いがない。)。

3  一部臨時雇員に対する就労指示

(証拠省略)によれば、以下の事実が一応認められる。

被申請人は、昭和四五年八月一〇日のロックアウト解除後も自宅待機を命じていた臨時雇員の一部の者に対し、本件更新拒絶の直前、就労の件について話合いを行なうので出社されたい旨の通告書を送付している。すなわち、昭和四五年八月一五日付で申請外小林誠一に対し、同月一七日に出社されたい旨の、同年九月五日付で申請外大富勝久、同重盛光明(女性自身復刊に伴なって必要となった人員)に対し、同月八日に出社されたい旨の、同月一二日付で申請人江上徹、同貝塚正男、同山田富雄および同藤田明徳(月刊誌宝石発刊準備のために就労が必要となった人員)に対し、同月一七日に出社されたい旨の、同月一四日付で申請人梅津憲司、申請外江上彰(カッパの本の新刊の業務を促進するために就労が必要となった人員)に対し、同月一八日に出社されたい旨の、さらに同月一四日付で前記申請外大富勝久、同重盛光明に対し「去る九月五日付で就労の指示をしたが、何の連絡もなく、また就労していないので、重ねて九月一九日に就労することを指示する」旨の各通告書をそれぞれ送付している。

ところで、現実に就労指示の通告がなされたのは、右のとおり臨時雇員のうち九名に対してであったが、被申請人の役員会では、臨時雇員全員に就労指示の通知を出すことを決定しており、所轄の総務部に対し、その旨の指示を与えていた。このように決定したのは、昭和四五年八月から被申請人の業務が順次再開されるに至り、臨時雇員が勤務していた各部から、臨時雇員を就労させる必要性が生じたとして、その要請があったことによるものである(なお、実際にはなぜ右九名以外の者には就労指示の通知をしなかったのか、その事情は証拠上明らかでない。)。

なお、(証拠省略)中には、右の就労指示は、臨時雇員の契約期間が昭和四五年九月三〇日までであって、その間は就労する義務があるから、それまでの間だけでも勤務してもらいたいとの考えに基づくものであって、就労指示と更新拒絶とは矛盾するものではないとする部分がある。この趣旨が、すでにこの時点で臨時雇員の必要性はなかったけれども、就労指示をしたとするものであるならば、臨時雇員を出社させていったい何をさせようとしたのか理解し難い。また、実際に担当する職務があったものとすれば、九月三〇日からこれらの仕事が突如なくなるということはありえない。

4  以上のまとめ

以上の事実によれば、本件更新拒絶後にも、被申請人では、付随業務を処理するために、少なくとも三名のアルバイト学生と六名の中高年齢の元臨時雇員が稼働しており、被申請人は、本件更新拒絶の直前には、臨時雇員全員を就労させることを決定しているのである。しかも先に認定したとおり、当時は既に業務再開の展望が好転しつつあった時であるから、被申請人としては、付随業務を担当する臨時雇員は、従前と同一程度の人数が必要となる時期も遠くないと考えるのが至当であり、現にそのような状況にあったものと認められるのである。

もっとも、右三名のアルバイト学生と六名の元雇員だけでは、争議前の臨時雇員(三七名)の人数に比較して、はるかに少ない人数である。業務の全面的再開には至っていない事実があるとしても、これだけの人数で、被申請人が現在果たして円滑に付随業務を遂行しているかどうかは証拠上必ずしも明らかではない。

この点に関し、(証拠省略)中には、女性自身編集部と編集審査部には従前合計三名の臨時雇員がいたが、現在その担当していた職務は、昭和四五年三月二五日および同年一〇月一日にそれぞれ採用した従業員(嘱託)二名ができる範囲で処理し、足りない分は一般従業員(社員)が補っている旨、また各部では、現有勢力で業務を遂行しなければならないという熱意をもって、だらだらとしたやり方ではなく、引締めてやっているから、社内から臨時雇員を雇用してもらいたいとの希望は出ていないとの部分がある。さらに(証拠省略)にも、機構改訂と付随業務処理形態をとった場合、どの程度費用の節減になり、どれ程経営再建に効果があるものなのかという点、あるいはその反面として、臨時雇員制度を存続させた場合の被申請人に与える影響、特にそれが被申請人の経営を危機におとし入れる程のものであるかどうかという点については疎明がない。

これらの事情を総合判断すれば、被申請人には、申請人らとの雇用契約の更新を拒絶しなければならない、納得するに足りる業務上の必要は認められないといわざるをえない。少なくとも、臨時雇員全員の雇用契約の更新拒絶をする必要性がなかったことは明白である。

(五)  権利濫用の主張について

1  申請人らと被申請人との間の雇用契約には、「雇用期間は六カ月間を単位とする。雇用期間が満了しても、両者に異議がない場合は、満了日の翌日から向う六カ月、期間を延長する。」旨の自動更新の合意が存し、申請人らも本件更新拒絶までに、六カ月ごとに(最初は六カ月未満の場合がある。)、少ない者でも一回、多い者は六回、契約を更新してきていたことは当事者間に争いがない。

2  (証拠省略)によれば、被申請人が昭和四四年一月および昭和四五年一月に、臨時雇員を募集するため各高等学校、大学へ送った募集要項には、契約期間としては「現在校または進学予定校を卒業するまで」、賞与は年二回、定期昇給は年一回との記載があるが、契約期間が六カ月である旨の記載は全くないことが認められる。

3  (証拠省略)によれば、被申請人の「臨時雇員の就業に関する内規」には、契約期間とその延長について前記争いのない事実どおり定められており、年一度の昇給および年二回の賞与の支給があることも規定され、さらに年次有給休暇、給与額および退職手当金について、勤続年数が長くなればなる程その算定基準が臨時雇員に有利になるように定められていることが認められる。

4  (証拠省略)の結果によれば、従来被申請人においては、臨時雇員側の都合で契約を更新しなかった例はあるが、臨時雇員が在学校を卒業する以前に、被申請人側が前記条項に定める異議を述べ、契約更新を拒絶した事例は全くないこと、契約の更新時には、その直前に、被申請人の総務部人事課から各雇員あてに、新就労承諾書に住所、氏名、生年月日、在学学校名等を記入して捺印の上提出するようにとの指示とともに、右就労承諾書が配布され、各雇員は右指示に従って新就労承諾書を差し入れていたにすぎず、その手続は全く形式的のものであったことが一応認められる。

5  以上1ないし4に認定した事実によれば、被申請人会社は、臨時雇員の雇用期間を一応六カ月と約したが、その契約の更新を拒絶する合理的な必要性のない限り、契約の更新拒絶をすることがなく、自動的に契約が更新されるままに任せられてきたことが認められるのである。このような事情の下においては、合理的な必要性もないのに契約の更新を拒絶することは、被申請人の利益にならないのに、申請人らの職を奪い、これに苦痛だけを与えることになるから、権利の濫用として許されないものと解するのが相当である。

ところで、先に説示したとおり、被申請人の本件更新拒絶には、会社の経営上からする合理的必要性が全くないのであるから、これは「業務の都合」に藉口して、申請人らから職を奪い、申請人らに苦痛を与える以外の何物でもないと解されるから、本件更新拒絶は、権利の濫用として無効である。

6  以上のとおり、本件更新拒絶は無効であるから、申請人らと被申請人間の雇用契約が昭和四五年九月三〇日に満了するについて、被申請人から更新について異議がなかったことになる。そして申請人らが契約の更新について異議がないことは弁論の全趣旨によって認められるから、右雇用契約は同日期間満了によっては終了しなかったのである。かえって、前記自動更新の合意によって被申請人と申請人らとの間の雇用契約は、昭和四五年一〇月一日以降も継続していることになる。

三  本件解雇の効力について

(一)  被申請人が、昭和四六年一二月二四日の本件口頭弁論期日において、申請人らに対し、「事業経営上やむを得ない事由が生じたとき」に該当するとして、解雇の意思表示をしたことは記録上明らかである。

申請人らと被申請人との間に、解雇事由について被申請人主張のような合意がなされていることは、申請人らにおいて明らかに争わないから、これを自白したものとみなすべきである。

(二)民法第六二八条は、期間の定めのある雇用契約においても、使用者は、やむことを得ざる事由のあるときは、雇用契約を即時解除することができることを規定している。一方、労働基準法第二〇条第一項但書は、使用者は、天災事変その他やむを得ない事由のため事業の継続が不可能となった場合には、雇用契約を即時解除することができることを規定している。ところで、右労働基準法の規定を期間の定めのない雇用契約についてだけ適用のある規定と解するときは、期間の定めのある雇用契約は、単に使用者側にやむを得ない事由があれば即時解除ができるのに反し、期間の定めのない雇用契約は、かえって使用者側にやむことをえない事由だけのある場合は解除できず、これがため事業の継続が不可能となった場合に初めて解除できることになる。このような解釈は、両者間に著しい均衡を失する結果をもたらし、ひいては労働基準法の右規定が解雇の要件を厳格にしぼった趣旨を没却することになる。これによってみれば、右規定は、民法第六二八条の規定を排斥したものであって、期間の定めのある雇用契約においても、天災事変その他やむをえない事由のため事業の継続が不可能になった場合でなければ、使用者は雇用契約の即時解除ができないものと解せられるのである。そしてこの規定は、労働者保護のため設けられた強行規定であるから、これに反する労働者に不利な約定は無効である。

申請人らと被申請人間の前記解除約款が、その文言どおりに解されるならば、これは右規定に違反し無効であるから、被申請人はこれによって申請人らを解雇できない。また右規定を労働基準法の右規定と同趣旨に解し有効だとしても、被申請人に申請人らを解雇しなければ、事業の継続が不可能になったことの疎明はない。したがって、いずれにしても、右解雇は無効である。

(三)  のみならず、右解雇の意思表示当時は、本件更新拒絶当時よりも、前認定の付随業務の機械化の措置が数多く実施に移されたであろうことは推測されるが、また他面、前述したとおり、右解雇の意思表示のときまでには、雑誌女性自身の毎号の赤字は解消し、別冊宝石も発刊されるに至り、小説家等の執筆拒否という事態もなくなって、被申請人の業務はより拡充され、順調のものとなってきたことも推認されるのである。

この時点においては、むしろ臨時雇員等付随業務を担当する者の必要度がさらに大になったというべきであって、逆にこれを全員解雇しなければならない「事業経営上やむを得ない事由」が生じたとは到底認められない。

したがって、前記約定が有効であって、被申請人にこれに基づく解雇権があるものとしても、右解雇の意思表示は、本件更新拒絶以上に合理的必要性もないのになされたものと解せざるをえないから、権利の濫用として無効である。

四  学生の身分の喪失と雇用契約の終了について

(一)  申請人奥山政道が昭和四五年二月大学を除籍になったこと、同山田富雄および同浜田崇子が昭和四五年四月以降進学しなかったこと、同山田哲雄が昭和四六年七月一三日までに大学を除籍になったこと、同国分清市が昭和四六年三月高等学校四年を卒業したこと、同大島正敏が昭和四六年三月大学を除籍になったこと、同江上徹が昭和四六年三月予備校一年を終了しその後進学しなかったこと同加納農が昭和四六年三月大学四年を卒業したことはいずれも当事者間に争いがない。

(三)  申請人らが被申請人に差し入れた臨時雇用者就労承諾書に、雇用期間の延長に関する前記条項(抗弁第一項(一)記載)の但書として、「ただし学生の場合の延長期間は、現在校を卒業するまでとする。」との記載があることは、当事者間に争いない。

1  申請人らは、昼間被申請人において勤務し、夜間学校において学ぶ者達であるから、美事螢雪の功成って最終学校を卒業すれば、他に職を求めて被申請人会社を去って行くことが当然予想されるのである。このこと前記臨時雇員の就業に関する内規の規定、募集要項の記載および弁論の全趣旨によって成立を認める(証拠省略)をあわせて考えると、右就労承諾書に記載の現在校とは、「現在校および現在校にひきつづき進学する予定の最終学校」と解するのが相当である。すなわち、この現在校の中には、進学予定校を含む。最初の雇用契約締結当時はすでに学校を卒業しており、進学予定の学校の合否もまた未定の場合は、雇用契約締結後しばらくの期間夜間学生としての身分がない訳であるが、このような場合は進学を予定していた学校の卒業までという意味である。換言すれば、右約定は、現に在学する学校あるいはこれにひきつづき進学した最終学校を無事卒業して、さらに進学する予定もないときは、それによって雇用契約の期間が満了する旨の不確定期限を定めた趣旨と解すべきである。

2  (証拠省略)によれば、被申請人では従前このような場合になお雇用契約を更新した例はないことが一応認められる(ただし、後に述べる申請人山田富雄の場合だけは例外である。)。また(証拠省略)によれば、申請人らの多くは、雇用契約の締結に際し、被申請人の担当係員から、在学中の学校あるいはこれにひきつづき進学する学校を卒業するまで雇用契約を更新する旨の説明を受けていたことが一応認められる。以上の事実と、臨時雇員が最終学校を卒業した場合には、被申請人との雇用契約が終了するのも合理性があるという前記のような事情を合せ考えれば、右雇用者就労承諾書に記載した「現在校」の卒業時を雇用契約の終了時期とする規定は、申請人らと被申請人の雇用契約の合意の内容となっていたものと認められるのである。したがって、この文言は例文にすぎないとの申請人らの見解は、採用しない。

以下に右条項の適用上問題となる二、三の場合について、解釈の基準を示しておくことにする。

3  学校を卒業した場合ではなく、除籍になった場合は、右「卒業」に含まれるとは解し難い。

まず文理からいって除籍は卒業とは明らかに異なる。雇用契約の終期という重要な条項の解釈に、文理と明らかに反する労働者に不利益な拡張解釈を施すことはできない。また除籍の場合は、卒業した場合と異なり、復学の可能性も残されており、必ずしも他に就職するとも限らないから、実質上も卒業と同視することはできない。

前認定のとおり、被申請人では臨時雇員制度は夜間学生を主体として運営することを一応の方針とはしているが、被申請人の強調する育英制度という色彩がある訳ではなく、またその担当する職務は学生でなければならないという性質のものではなく、臨時雇員が学校を除籍になったからといって被申請人にとっては何の不都合の点もないのである。このような制度の趣旨および担当職務の内容からすれば、臨時雇員は学生であることが絶対の要件であるということはできない。現に臨時雇員の中には学生でない中高年齢者も若干含まれているのである。したがって、「現在校を卒業するまで」という条項を「学生の身分を有する限り」と解することはできないのである。

4  在学していた学校は卒業したが、さらに上級学校へ進学することを予定し、いわゆる浪人中の者も、右「卒業」には含まれず、これと同一に取り扱うことはできないと解すべきである。

このような状態にある者は、いずれは、再び学生となるのであり、また他に就職することもないのであるから、卒業してもはや上級学校に進学しないことが確定している場合とはおおいに事情が異なる。これこそ、被申請人において働きながら、なお進学の準備をすることに合理性があるからである。被申請人が臨時雇員制度の育英性を強調するならば、なお更のことである。また右に述べたとおり、臨時雇員が学生でなくてはならない必然性はなく、被申請人も臨時雇員が学生としての身分を継続させているかどうかについて特別重大な関心を有していたことを認めるに足りる疎明もないからである。

5  契約存続中に在学校を卒業し、さらに上級学校に進学する予定ということで契約を更新したが、実際には進学できずあるいは後に進学する予定を変更した場合は、右の「学生の場合の延長期間は、現在校を卒業するまでとする」との約定の直接かかわるところではない。すなわち、このような場合は、右条項によって、進学できないことが確定した場合あるいは進学予定の意思を捨てた時に、雇用契約の期間が満了する趣旨であるという解釈を導き出すことはできない。このような解釈は、全く文理を無視するものであるからである。

この場合、結果的、事後的には、学校を卒業しさらに上級学校に進学しなかったことになるが、右約定は、進学予定校に実際に進学しなかった場合に雇用契約がどうなるかについては全く言及しておらず、このような場合の取扱いまでも定めたものと解する余地はないからである。

(三)  右に述べたところを申請人らについて適用すると次のとおりとなる。

1  申請人貝塚正男

(証拠省略)によれば、申請人貝塚正男は、昭和四六年三月三一日日本大学短期大学部を卒業したが、同年四月一日同大学経済学部三年に編入し、現在も同大学に在学していることが一応認められる。

したがって、同人は、昭和四六年三月には最終学校を卒業していないから、同月三一日をもっては、雇用契約の期間が満了しない。

2  申請人加納豊

同人が昭和四六年三月大学を卒業したことは当事者間に争いなく、その後の進学については何らの主張、立証がないから、その雇用契約は同年三月三一日限り期間の満了により終了したものというべきである。

3  申請人奥山政道、同山田哲雄および同大島正敏

同人らが大学を除籍になったことは当事者間に争いないが、除籍の時を雇用契約の終期とする約定の認められないことは前説示のとおりであるから、これによっては同人らの雇用契約は終了しない。

4  申請人国分清市および同江上徹

(証拠省略)によれば、申請人国分清市は、昭和四四年四月一日被申請人と雇用契約を締結し(この事実は当事者間に争いがない。)、当時は定時制高校に在学中であって、昭和四六年三月右高校を卒業したこと、同人は右高等学校卒業後は大学二部に進学する予定であったが、本件紛争のため大学入学の費用等を支出しうる見込みがたたず、一時進学を延期していることが一応認められる(高校卒業の事実は、当事者間に争いがない。)。

(証拠省略)によれば、申請人江上徹は昭和四五年三月二日被申請人に雇用され(この事実は当事者間に争いがない。)、同年四月からは予備校に入学し、昭和四六年度の大学入試をめざして通学していたが、昭和四六年三月右予備校一年を終了し、大学には進学しなかったこと、しかしこれは本件紛争により経済的見とおしがたたなくなったことによるものであり、一時大学進学および予備校二年目の通学を断念しているにすぎないことが一応認められる(予備校を終了し、大学に通学しなかったことは、当事者間に争いがない。)。

したがって右両名は、まだ最終学校を卒業していないから、前に説示したところにより、前記約定による雇用契約の期間は満了していない。

5  申請人山田富雄および同浜田崇子

(証拠省略)の結果によれば、申請人山田富雄は、昭和四五年三月には、すでに学校を卒業していたが、なお被申請人で働きたいとの希望をもっていたので、その旨被申請人総務部の牛久部長代理(人事担当)に申し出たところ、同人はこれを了承して、同年四月一日からさらに契約を更新することになったこと、その際同部長代理から「一応聴講生という形で学校に籍をおいてもらいたい」との指示があり、右申請人は就労承諾書の在学学校名の欄には法政大学聴講生と記載したが、実際には聴講生となる手続はとらなかったこと、また申請人浜田崇子は、昭和四五年三月、当時在学していた学校(弁論の全趣旨によれば予備校一年であったことが認められる。)を終了し、その後進学する学校がまだ決定していなかったが、牛久部長代理から、入学予定ということでも契約を更新できるとの説明があったので、進学予定ということで、就労承諾書の在学学校名の欄にも進学予定と記入した。)、昭和四五年四月一日から契約を更新したこと、ところがその後被申請人において争議が発生するなどの事情があったため、進学しなかったことが一応認められる(進学しなかったことは、当事者間に争いがない。)。

右事実によれば、申請人山田富雄は最初から進学の意思がなく、申請人浜田崇子は当初は進学を予定していたものと解される。そうすると、契約締結当時在学中でもなく、また進学の意思のない者に現在校卒業を雇用契約の終期とする約定の適用を認める余地はないから、申請人山田富雄は前記約定によっては雇用契約の期間の満了を招来しない。また申請人浜田崇子がその後進学を断念したとしても、右約定がその時をもって雇用契約終了の時期とする趣旨でないことは、前記のとおりであるから、これによっては同人の雇用契約は終了しない。

五  被保全権利についての結論

そうすると、申請人らのうち、加納豊については昭和四六年三月三一日限り雇用契約が終了し、もはや被申請人の従業員としての地位を有していないことになるが、その余の申請人らについてはなお被申請人との間の雇用契約が存続し、従業員としての地位を有するものである。それにもかかわらず、被申請人はこれを争っているから、右申請人らは、被申請人の従業員としての地位を有することを定める利益がある。

また申請人らの法定労働時間内の月額賃金が別表(一)記載のとおりであり、その支払日が毎月二五日であることは当事者間に争いがないから、申請人らは被申請人に対し昭和四五年一〇月一日以降、毎月右賃金請求権を有している(ただし、申請人加納豊は昭和四六年三月三一日までである。)。

六  保全の必要性について

申請人らの多くは夜間学生であって、昼間被申請人で働くかたわら、夜間は学校へ通学している者である。そして、このような境遇にある者の常として、被申請人からうる給与によって生計をたて、かつ学費もまかなっていたものと推定される。したがって、右収入を失えば、その生活は窮迫し、さらに通学も不可能となるなど、著しい損害を被るであろうことはきわめて容易に推認しうるところである。

右の理由により、申請人らに本件仮処分を求める必要性があることは明らかであるというべきであるが、なお各申請人についてこの点を検討することにする。

(一)  (証拠省略)の結果によれば、申請人蔵本哲也は、現在大学四年に在学する学生であって、本件更新拒絶後は、学校の授業料は家庭からの仕送りによってまかない、借金をしたり、時々アルバイトに従事したりして生計をたてていることが一応認められる。

(二)  前記のとおり、申請人貝塚正男は、本件更新拒絶当時は日本大学短期大学部に、現在は日本大学三年に在学中の学生であるが、(証拠省略)によれば、同人は、本件更新拒絶後は、家族から学資、生活費の援助を受けてようやく生計をたて勉学を続けていることが一応認められる。

(三)  申請人奥山政道が昭和四五年二月学費滞納の理由により大学を除籍になったことは当事者間に争いがない。さらに(証拠省略)によれば、同人は、母親と二人でアパート住いをしており、同人の給与および母親の収入によって生活していたが、本件更新拒絶後は母親の収入に依存して生活しており、生活費の工面に苦労していることが一応認められる。

(四)  (証拠省略)によれば、申請人鈴木政信は学生であって、被申請人からの給与によって何とか生活していたが、本件更新拒絶後は授業料の納入にも苦慮する有様であって家族の援助、友人からの借金等によって生活を維持していることが一応認められる。

(五)  (証拠省略)によれば、申請人武市敏明は学生であって、本件更新拒絶後は借金等によってようやく部屋代、食費等を捻出していることが一応認められる。

(六)  (証拠省略)によれば、申請人森川勝美は学生であって、本件更新拒絶後は、わずかの貯金の払戻しをしたり借金をしたりする必要が生じていることが一応認められる。

(七)  (証拠省略)によれば、申請人町田憲男は学生であって、本件更新拒絶後は、友人からの借金なども必要となっており、昭和四五年度の大学授業料は分割納入の方法によってようやく支払うことができたが、昭和四六年度の授業料の納入については見とおしがつかないため苦慮していたことが一応認められる。

(八)  申請人山田富雄は、昭和四五年四月以降は学生でなくなったことは前記のとおりであるが、(証拠省略)によれば、同人は被申請人からの給与によって家族の家賃をある程度負担し、食費も多少家庭に入れていたが、本件更新拒絶後は生活費はすべて親に依存していることが一応認められる。

(九)  申請人浜田崇子が昭和四五年三月予備校を終了し、その後進学しなかったことは前記のとおりであるが、前出甲第一六号証によれば、同人は、本件更新拒絶直後は仮払いの失業保険金によって生活費をまかなっていたことが一応認められる。

(一〇)  (証拠省略)によれば、申請人梅津憲司は学生であって、本件更新拒絶後は借金等によって生活を維持しており、授業料の納入にも苦慮していることが一応認められる。

(一一)  (証拠省略)によれば、申請人山田哲雄は昭和四五年六月限り大学を除籍になっていること(その理由が学費滞納であることは当事者間に争いがない。)、本件更新拒絶後は生活費はすべて家庭からの仕送りに頼っていることが一応認められる。

(一二)  (証拠省略)によれば、申請人早川憲司は学生であって、被申請人からうる給与によって生活を維持し、賞与を学費の支払いにあてていたが、本件更新拒絶後は、下宿も狭い部屋に移るなどして生活費を節約した上で、家からの仕送り、借金等によってようやく生計をたてており、特に授業料の支払いに苦心していることが一応認められる。

(一三)  申請人国分清市が昭和四六年三月高等学校を卒業したが経済的理由によって大学進学を延期せざるをえなかったことは前記のとおりであり、(証拠省略)によればその生活状態はかなり苦しいことが一応認められる。

(一四)  申請人大島正敏が昭和四六年三月学費滞納の理由により大学を除籍になったことは当事者間に争いがないが、前出(証拠省略)および弁論の全趣旨により成立を認める甲第四〇号証によれば、同人は、本件更新拒絶後は借金等によって生活費をまかなっていたが、次第にその工面ができなくなり、遂に右のとおり除籍という事態を招いたことが一応認められる。

(一五)  申請人江上徹が昭和四六年三月予備校を卒業し、その後経済的見とおしがたたないため大学進学を一時延期していることは前記のとおりであるが、(証拠省略)によれば、同人は、生活費と学費を被申請人からの給与によってまかなっていたが、本件更新拒絶後は貯金、借金にも限度があるため右のとおり大学進学のみならず二年目の予備校通学もあきらめざるをえなかったことが一応認められる。

(一六)  (証拠省略)によれば、申請人藤田明徳は学生であって、自宅から通学しているが、本件更新拒絶後は授業料等学費の支払いに苦慮していることが一応認められる。

(一七)  (証拠省略)によれば申請人竹林正幸は学生であって、本件更新拒絶後は借金等によって生計をたてていることが一応認められる。

(一八)  申請人加納豊が昭和四六年三月大学を卒業したことは前記のとおりであるが、(証拠省略)によれば、同人は、友人からの借金などによって授業料等を捻出してようやく右のとおり大学を卒業したものの、その間病気をしてその治療費も借金等でまかない、現在これら債務の返済を迫られていることが一応認められる。

(一九)  以上の事実によれば、申請人らはいずれも、生活に困窮し、学費等の捻出にも苦慮しており、本件更新拒絶によって著しい損害を被っているものというべきであるから、これを避けるため、従業員としての地位を仮に定め(申請人加納豊は除く。)、賃金全額の仮の支払いを受ける必要性があるものと認められる。

七  結論

よって、申請人加納豊を除くその余の申請人らの本件仮処分申請はいずれも理由があるからこれを保証を立てさせないで認容し、申請人加納豊の本件仮処分申請は、昭和四六年三月三一日までの賃金の仮払いを求める限度で理由があるからこれを保証を立てさせないで認容し、その余の部分は被保全権利の疎明がなく保証をもってこれにかえさせるのも相当でないから却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩村弘雄 裁判官 矢崎秀一 裁判官 飯塚勝)

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